おじさんがボクだった頃の夏
今週のお題 「ボクらの夏」
今回は昔話です。
HABの黎明期、1991年の夏の高校野球大会について、思い出をつづります。
HABはこの年の10月に開局。
それ以前の7、8月にはサービス放送も始まっておらず、局舎は連日の突貫工事、放送局として産声を上げる準備のための期間でした。
当時新米記者だった私は、開局日に向けて様々な研修と原稿書きの特訓の日々。
7月の県大会時には連日県立野球場に詰め、朝日新聞の記者の方から手ほどきを受け、ネット裏やスタンドでのこぼれ話を執筆する毎日を過ごしていました(もちろん放送には乗りませんが一部新聞記事になりました)。
この年の代表校は、2年生ながら不動の4番バッター松井秀喜が引張る星稜高校。
県大会決勝で北陸大谷高校(当時)をくだし、意気揚々と甲子園へ乗り込みました。
ラッキーなことに、HABの新米記者も、朝日放送系野球中継のスタンドリポーター付きFD(フロアディレクター)として、甲子園初登板を果たすこととなったのです。
実に私は、1週間あまりも派遣していただきました。
ディレクター業の研修とはいえ、生放送にスタッフとして携わる実践です。
一緒に仕事をさせていただいたアナウンサーは、関東の8校を2人で担当していたテレビ朝日の国吉伸洋アナ(当時)に真鍋由アナなど錚々たるメンバー。
HABが開局前だったこともあり、星稜応援団はMROの沼田憲和アナ(当時)が務めていらっしゃいました。
キューを出しながら、プロの皆さんのキレ味の良いコメント、流石と唸らせるリサーチ、リポート力を目の当たりにし、身を引き締めていた自分が昨日のことの様に思い出されます。

この年の星稜は快進撃を展開しました。
二回戦から登場すると、市立沼津、竜ヶ崎一、松商学園(私が学生時代を過ごした長野県代表校なので複雑な心境でした)という並居る強豪をくだし、
自身2度目のベスト4進出を果たします。
準決勝で優勝した大阪桐蔭に敗れはしたものの、北陸の高校球児を勇気づける軌跡となりました(翌年、松井は前代未聞の5打席連続敬遠により伝説の選手となり、また2年生エース山本省吾を擁した1995年には準優勝と、星稜は輝かしい球史を刻んでいくのです)。
さて創部4年で初出場初優勝を果たした大阪桐蔭は今ではすっかり名門校の仲間入りをしていますが、決勝で敗れた沖縄水産は実に2年連続の全国準優勝。
しかしこの時点で沖縄県は既に屈指の強豪県と称せられ、今年のセンバツ優勝が興南高校であることは記憶に新しいところです。
沖縄勢のアルプススタンドに鳴り響く指笛の音色は、いま話題のブブゼラみたいに味わい深いものでした。
これが、HABナンバーワン高校野球好き社員のエピソードゼロです。
野球期間アルバイト募集中 → http://www.hab.co.jp/company/arbeit.html
(仕事内容によっては締め切っています)
総務局 I
2010年07月01日